文学アクセサリー『空のうたたね』

2 脳の問題ではなく個性

僕は、文字がうまく読めず、非常に苦労しました。
 
(なぜ文字が読めないのだろう?)
 
必死になって原因を探しました。
 
「ディスレクシア(読字障害)」
 
 
この症状を調べれば、当てはまることばかりでした。
 
 
【僕の症状】
・音読がうまくできない(文節で切ることができない)。
・1行読んでも、次の行に進むと、何が書いてあったかわからない。
・特に、カタカナやひらがなで書かれている文字は、認識することがすぐにはできない。中学3年生になってもカタカナとアルファベットはすべて書けなかった。
・聞き取って、文字にすることができない。例えば「キュー」と言われて「9」と書けず、混乱してしまう。
・bやdなど似ている形の差を、認識することが劣っている。また、(む)と(す)のような、明らかな違う文字も、似ていると認識し、よくわからなかった。
・人の話を聞きながら、メモをとることができない。
・文字をひっくり返って読む。
***** 
 
そして、ディスレクシアを紹介する本には、脳の問題のように書かれていました。
 
たしかに、そうした部分もあるのかもしれません。
 
けれど、根本的な欠陥があるように扱われては、子供たちに努力する気も失わせてしまうように思います。
 
僕は「いや、そんなんじゃないぞ!」と、強く言いたいです。
 
文字を必要としない縄文時代に生まれていたら、ディスレクシア(読字障害)なんて、くだらない問題と思います。

つまり、今の社会が、文字がうまく読めない人たちを、個性的にしただけにすぎません。

「異常ではない。個性である!

堂々と勇気をもっていいと思います。
 
僕は、文字が上手く読めるようになることよりも、その個性を活かして生きることができ、この体で生まれてきたことに感謝できる心を育てられることの方が遥かに重要だと思います。

その心が、幸せを作るのだと思います。
 
勘違いしないでほしいですが、今の社会が悪いわけでもなく、社会のせいにしてはならないと思います。
 
そんなことは関係ありません。
 
文字が読めなくても、感謝できる心は育てられるのだから。


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